成長する木【Log 2022/03/16】

【Log】は個人的な雑記です。


【Log 2022/03/16】

喫茶店で数時間座って本を読んだ。

読書に適した場所というのはあるのだろうか。人がある程度まばらに居る、例えば自習室のような環境の方がいいと思う人もいれば、完全に無音の素っ気無い部屋で延々体勢を変えながら読みたい人もいるだろうなと思う。地下鉄の轟音と周囲の声に塗れないと読めない変態もいるかもしれない。僕はどちらでも構わないと思っている。本を読むだけなら、別にどこだって構わない。ただ、本の内容を理解しようと思ったら、目で追うだけでは不十分さがある気がしてならない。人に話したり、人に教えたりすることで、定着や気づきがあるように、何処か外部に書いたり話したりする工程が必要になってくる。頭の出来に関わる話かもしれないが、ともかく自分の場合はそうである。

喫茶店まではそう遠くなく、行きやすい。あまり混んでいると気が滅入るどころか、動機がしたり痙攣したりするので、時間帯は注意しないと死活問題になるのだが、夕方は空いており、ソーシャルディスタンスの面でも全くストレスがない。コーヒーに入っている氷は少しずつ溶けて、あんなに固そうだったのに、誰かに砕かれたような姿になっている。本が少しずつ読めるようになってきて、最近は毎日楽しい時間が増えた。音楽を作りたいけど、音楽を作ることは一番障壁が高い。エネルギーの消費量が大きいし、一度ONにすると、OFFにするのが大変になる。軽い躁状態になることが、一番怖い。運動であれば、体の疲労と共に上がって落ちていくので、まだマシな気がするが、音楽を作っている時は体以上に頭がギュルギュルと回っている。そして、頭だけがその回転を止められず、体にそれを強制し始める。「まだやるやろ?緊張しておいた方がいいんじゃないの?」とでも言っているのだろうか。いい迷惑だ。

隣に二人組の主婦が座って、お茶を飲んでいる。店の中心に置かれた長テーブルにはコンセントが備え付けられており、PCやタブレットで作業する人が長時間繋いでいる。彼らのスペースはディスプレイとコードで占められている。珈琲は時々飲まれて、時々こぼされる。端の席の学生は勉強をし始めてから姿勢が変わらない。そのうちスマホを見始めた。それから姿勢が変わらない。同一の姿勢を保つことが得意な学生のようだ。主婦の片方が健康の話を始める。「例え話ですがって言って、先生が言い始めたんやけどさ」「うん」「体に木が植えられてる、って。それは育つと大変だから、取り除かないといけないんです。木が成長すると、その木はお母さんを殺します、って言うの」。

時々、店員が来て机と椅子を消毒していく。見えないウイルスというものが死滅している音がプチプチと鳴り始めて、すぐにおとなしくなる。帰る時にはすっかり暗くなり、夜になっていた。信号待ちをしていると、隣に家族連れがやってきて並んだ。男が女に言った。「もうあいつはいらない。あんな失礼な奴」。女ははじめ口籠もったが、「でも私たちにも悪いところがあったやん」と言った。子供たちは信号の赤色を指差して、何が面白いのかさっぱり分からないことを口走って笑っている。正直、気味の悪い家族だなと思った。少し離れたところから救急車のサイレンが聞こえ始めた。信号は変わったが、僕とその家族は救急車が通過するのを待った。救急車がのろのろと走るので、サイレンの音が変化する境界線がわずかに見えるようだった。「木が成長すると、その木はお母さんを殺します」。

後ろから犬が吠えるのが聞こえて、振り向いた。犬は見当たらなかった。綺麗な身なりとはとても言えないおじいさんが立っていた。街灯でぼんやりとした中でも、キャップも洋服も色あせてるように見えた。その向こうには電車が走っている。移動時間の短縮と引き換えに騒音を受け入れる他に選択肢がない僕たちは、信号が青になっても同じところに立っている。救急車の交差点への進入はうまくいかず、六車線の全てが渋滞している。

それは僕にとってうるさすぎた。何もかもが。部屋のスイッチを消すみたいに、この街の活動が止められたならと思った。騒音と言葉と、いつまでもせわしなく動く乗り物に取り囲まれて頭が変になりそうだった。それから、花屋に寄った。切花をいつも買う店で、店員の対応は素っ気無いが、そこにいるのはいつだって良い気分だ。ひとつ名前の知らない種を買って帰った。この種が木になって成長すれば。

この記事を書いた人

Quilttape名義で宅録制作しています。
使用DAWはLogic Pro。
DTM、音楽制作に関することや、個人の趣味(映画・文学・健康)などについて気ままに書いています。

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