自己認識とパパ活【Log 2022/01/27】

【Log 2022/01/27】

僕は哲学の本を読むのが好きだけど、定義付けとセンテンスそのものにルールでもあるのか、やたらめったら分かりにくい。何を表しているか分からない謎の単語が羅列され、何故か改行もさほどない。読者に優しくするつもりなど彼らには毛頭なく、ある種排他的で暴力性にも似た姿勢を感じる。なんとか食らいついて紐解いていければ楽しくなるが、辿り着くのが大変である。基本的にはそれを読むことで「私はバカである」と定義出来ることが、何よりの収穫であるように思う。

ところで、今日ニュースを見ていたら、「パパ活」についての話題が上がっていた。

パパ活を行う「パパ側」の年齢が下がっており、20代や30代の男性が増えてきているそうだ。女性側はコロナ禍で収入が下がったため、仕方なく始めたりする人が多いらしい。

20代でパパ活をする男性がインタビューを受けていた。独身の彼はパパ活をいわゆる「リアルな恋愛のためのステップ」と捉えていた。彼のパパ活は女性とお茶を飲んだり、食事をしたり、お喋りをしているだけである。異性とのコミュニケーションを学ぶためにパパ活をしているらしい。ある意味健気な取り組みのようにも見えるが、リスクもコストも高いのでは?と思ってしまう。

女性の方はそこで掴んだ情報を元に、パパをゆすってお金を巻き上げることも可能である。20代の彼にはあまり当てはまらないかもしれないが、本来はお金に余裕のある40代や50代がメインでパパになるので、ちょっと余計に口元を滑らせたりすると危険なこともあるだろう。これは「ママ活」になっても同様のリスクを孕んでいる。

そんな訳で、怖い面はある。しかし、なんとなく彼を応援する気持ちも自分の中にある。

恋愛も結婚も煩わしいし面倒くさいとよく言われる。何を当たり前なことを言っているんだろうと思う。

自己研鑽もコミュニケーションに対する努力もせずに、仮にありのままを受け入れてくれる人に出会えたなら、それは本当にラッキーだ。では、あなたは「ありのままの相手を受け入れること」が出来るだろうか。互いがそこで合致するには、互いに「受入れ合う能力」が必要なのに加えて、性格や趣味趣向がある程度一致するところまで条件になってくる。それは皆様もご存知の通りなかなか合致しないばかりか、「受入れ合う能力」は後天的に得ていく側面が大きい。一時はうまくいっても、時間と共にどちらかが持たなくなる。つまり、失敗に終わることが往々にしてあるということ。

そんな失敗した経験から「私はバカである」ということが定義出来れば、それが一番の収穫であるように思う。自分自身、何度思ったことだろうかと振り返るだけで血が出そうである。パパ活をしている彼も、何度か流血しているのではないだろうかと思うと、完全に無下にすることも出来ないなと2割くらい思ってしまう。綱渡りをする人をハラハラした気持ちで見つめる様な気持ちになる。

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Quilttape名義で宅録制作しています。
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DTM、音楽制作に関することや、個人の趣味(映画・文学・健康)などについて気ままに書いています。

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